小説Future Chronicle

―未完の予言詩―

未来がすべて記された年代記の世界で、僕は少女エリアと出会った。決められた結末を書き換えようとした瞬間、僕自身の未来にも知らない代償が刻まれはじめる。誰かに決められた明日ではなく、大切な人と選び取る“これから”のための物語。

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祖父はじっと彼を見た。

その目に、少しだけ怒りがあった。

「お前は、未来を見たいのか。村を救いたいのか」

「同じことだ」

「違う」

祖父の声は低かった。

「その二つは、いつか必ず分かれる」

ケルは拳を握った。

「お祖父さんは怖いんだ。父さんのことがあったから」

言った瞬間、空気が凍った。

祖父の顔から表情が消えた。

ケルはすぐに後悔した。

「ごめん」

しかし祖父は責めなかった。

ただ、疲れたように目を伏せた。

「そうだ。私は怖い」

ケルは何も言えなくなった。

祖父は静かに続けた。

「息子を失った。お前の父を。あの子も最初は、誰かを守りたいだけだった。予言を知れば救えると信じていた。だが、未来を見るたびに現在を疑い、愛する者の言葉よりも書物の影を信じるようになった」

祖父はケルを見た。

「私は、お前まで失いたくない」

ケルの胸が痛んだ。

それでも、言葉は止まらなかった。

「僕は失われない」

「それを決めるのは、お前ではない」

「じゃあ誰が決めるの」

「お前が今、どう生きるかだ」

二人はしばらく黙った。

暖炉の火が、ぱちりと鳴った。

やがて祖父は、深く息を吐いた。

「一度だけだ」

ケルは顔を上げた。

祖父は首から鍵を外した。

「鐘楼の光が本当に兆しなら、見ておく必要はある。だが一度だけ。見えたものがどれほど恐ろしくとも、深追いはしない」

「わかった」

「本当にか」

「わかった」

祖父は疑うように彼を見たが、それ以上は言わなかった。

二人は奥の部屋へ入った。

護符の貼られた狭い部屋。
白い円。
石の台座。
未来年代記。

本は、ケルを待っていた。

そう感じた。

まるで、彼が戻ってくることを最初から知っていたかのように。

祖父が鍵を置き、蝋燭に火をつける。

「断章の印を持て」

ケルは胸元から紙片を取り出した。

円環を断ち切る剣の印。

「何を見ても、そこへ行くな」

「うん」

「声が聞こえても、答えるな」

「うん」

「誰かが呼んでも、振り返るな」

ケルは一瞬、銀の森の女王を思い出した。

「わかってる」

祖父は本の留め具を外した。

ページが開く。

ざわり。

風が生まれる。

蝋燭の火が青くなる。

文字が動き出す。

ケルはページを見つめた。

鳥の骨。
枯れた蔓。
砕けた星座。

やがて、光の糸が宙へ立ち上がる。

今度の景色は、教会だった。

夜。

村は眠っている。

鐘楼だけが、青白く光っている。

ケルは息を潜めた。

見るだけ。
そこへ行くな。

鐘楼の中に、人影があった。

誰かが螺旋階段を上っている。

外套をまとった男。
顔は見えない。

男は鐘の前に立ち、壁に手を触れた。

すると、石壁に古い紋章が浮かび上がった。

円環。
逆さまの樹。

未来年代記と同じ紋章。

ケルの心臓が大きく鳴った。

男は小さな短剣で自分の指を切り、血を紋章へ垂らした。

青白い光が強くなる。

鐘が鳴った。

だが、それは普通の鐘の音ではなかった。

空間そのものが裂けるような音。

村の家々の窓が震え、眠っていた人々が目を覚ます。
地面の下から、何か巨大なものが動く気配がした。

次の瞬間、景色が変わった。

地下。

石で作られた古い空洞。
巨大な円環の装置。
その中心で、青白い光が脈打っている。

装置の周りには、古代文字が刻まれていた。

ケルには読めない。

けれど、意味だけが頭に流れ込む。

時を縛るもの。
未定を嫌う者たちの鎖。
未来を一つに固定せんとする古代の力。

ケルは息を呑んだ。

これだ。

大災害の根。

村の地下深くに眠る、古代の力。

さらに景色が変わる。

崩れる地面。
逃げ惑う村人。
燃える家。
青白い光に飲まれる教会。

そして、丘の上。

エリアが立っている。

彼女は白い服を着ていた。

婚礼の衣のようにも、死装束のようにも見えた。

ケルは叫びそうになった。

エリアの前に、未来の自分がいる。

大人になったケル。

やつれた顔。
予言書を抱え、必死に何かを言っている。

だが、エリアは首を振った。

「あなたは、未来ばかり見ていた」

またその言葉。

未来のケルが手を伸ばす。

エリアは一歩下がる。

「私が隣にいたこと、一度でもちゃんと見てくれた?」

「やめろ……」

ケルは呻いた。

祖父の声が遠くで響く。

「ケル、戻れ!」

だが景色は続く。

丘の空が割れる。

星の海が流れ込む。

エリアの足元に、青白い亀裂が走る。

ケルは本能的に手を伸ばした。

見ているだけだとわかっている。
けれど、伸ばさずにはいられなかった。

「エリア!」

未来のエリアが、こちらを見た。

ありえない。

これは景色のはずだ。

予言の断片のはずだ。

なのに、彼女は確かにケルを見た。

そして、静かに言った。

「今の私を見て」

次の瞬間、誰かが彼の腕を掴んだ。

祖父だった。

「戻れ!」

ケルの手の中で、断章の印が熱を持った。

白い光が弾ける。

景色が砕ける。

ケルは台座の前に倒れ込んだ。

息ができない。
身体が震えている。
頬に冷たい汗が流れていた。

祖父が本を閉じた。

重い音がした。

部屋は静かになった。

蝋燭の火は元の色に戻っている。

祖父はケルの肩を掴んでいた。

「何を見た」

ケルはしばらく答えられなかった。

胸の奥で、未来の鐘がまだ鳴っている。

やがて、かすれた声で言った。

「地下に……何かがある」

祖父の表情が変わった。

「古代の装置みたいなもの。時を固定する力。鐘楼と繋がってる。誰かが、それを起こそうとしてた」

「誰か?」

「顔は見えなかった」

「他には」

ケルは黙った。

エリアのことを言うべきか迷った。

白い衣。
丘。
亀裂。
離れていく足。

今の私を見て。

ケルはその言葉を思い出した瞬間、胸を押さえた。

「エリアがいた」

祖父は目を伏せた。

「そうか」

「どういう意味?」

「わからん」

「わからないって!」

「予言は答えではないと言っただろう!」

祖父の声が鋭く飛んだ。

ケルは黙った。

祖父は息を整え、低く言った。

「今わかったことは二つだ。村の地下に古代の力が眠っていること。そして鐘楼がその鍵になっていること」

「じゃあ、調べないと」

「調べる。だが予言書ではなく、現実をだ」

「現実?」

「教会の古文書、村の地下道、古い井戸、石工の記録。人の手で調べられるものがある」

ケルは焦った。

「でも時間が」

「時間がないからこそ、現在を見る」

祖父はケルの肩から手を離した。

「これ以上、今日は本を開くな」

ケルは本を見た。

未来年代記は閉じていた。

だが、ページの奥からまだ声が聞こえる気がした。

もっと見ろ。

もっと知れ。

もっと早く。

そうすれば守れる。

「ケル」

祖父の声で我に返る。

「はい」

「今すぐエリアに会ってこい」

ケルは驚いた。

「どうして」

「お前が見た未来に彼女がいるのなら、なおさらだ」

「でも、話せない」

「全部を話せとは言わん」

祖父は静かに言った。

「ただ、今の彼女を見ろ」

ケルは胸を突かれた。

未来のエリアの言葉。

今の私を見て。

祖父は知らないはずなのに。

ケルは何も言えなかった。

やがて、小さくうなずいた。

「行ってくる」

彼は部屋を出た。

祖父の家を飛び出すと、外はすっかり夜になっていた。

村の窓には灯りがともっている。

エリアの家の方角にも、小さな灯りがあった。

ケルはそちらへ向かって歩き出した。

けれど途中で、教会の鐘楼を見上げてしまう。

闇の中に沈む石の塔。

何の光もない。

それでもケルには、そこから青白い光が漏れているように思えた。

未来が、呼んでいる。

彼は足を止めた。

エリアの家へ行く道。
教会へ行く道。

二つの道が、夜の村で分かれていた。

ケルは迷った。

ほんの少しだけ。

そして、教会の方へ歩き出した。

今だけだ。

少し確かめるだけ。

鐘楼に何もなければ、すぐにエリアのところへ行く。

そう自分に言い聞かせながら。

だが、その背中を夜の窓から見つめる少女がいた。

エリアだった。

彼女は家の二階から、ケルが教会へ向かうのを見ていた。

手には、彼に返そうと思っていたものが握られている。

丘に落ちていた、古びた手帳。

開かれたページには、震える字でこう書かれていた。

怖いから、知らなければならない。

エリアはその一行を見つめた。

そして小さく呟いた。

「違うよ、ケル」

その声は、夜に溶けた。

「怖いなら、ひとりで行かないで」

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