小説WE'RE HEROES!!

部活発のガールズバンドを結成した私たち。愛機“エクスカリバー”を手に、円卓の騎士のように支え合いながら音を鳴らす。選ばれた英雄じゃなくても、自分たちだけの伝説を、ステージの上に築いていく。

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千夏は床に座り込んで、エクスカリバーを膝に乗せていた。

指先が痛い。

左手の人差し指と中指の腹が赤くなっている。
右手の親指には、弦をはじきすぎて小さな跡が残っていた。

「痛い」

千夏が呟くと、岳がドラムセットの片づけをしながら笑った。

「フロントマンの勲章だな」

「まだ仮」

「仮フロントマンの勲章」

「それ、弱そう」

玲奈はキーボードの電源を落とし、譜面に細かいメモを書き込んでいた。

「今日はAメロとサビだけ。明日はBメロまで」

「スパルタ」

「文化祭まで二十八日」

「カウントダウンやめて。心が削れる」

千夏は床に寝転がった。

天井の古い蛍光灯が、ぼんやり白く光っている。
体は疲れているのに、胸の中だけがまだ走っていた。

曲は全然完成していない。

演奏はバラバラ。
自分の歌も不安定。
エクスカリバーも、昨日みたいには鳴らない。

でも、楽しかった。

うまくいかないことが、こんなに楽しいと思ったのは久しぶりだった。

「ねえ」

千夏は天井を見たまま言った。

「ROUND TABLEってさ、何人いたの?」

岳が手を止めた。

「十年前の?」

「うん」

「確か、五人」

玲奈が答える。

「ギターボーカル、リードギター、ベース、ドラム、キーボード」

「今と同じじゃん」

「まだベースいないけど」

「あ」

千夏は起き上がる。

「ベースいないじゃん!」

蒼真が古いギターをケースにしまいながら言った。

「今さら?」

「だって蒼真がいるから、なんとなく足りてる気がしてた」

「俺、ギターだからな」

「ベースも弾けない?」

「無茶言うな」

「じゃあ誰か探さなきゃ」

岳が大きく頷いた。

「そう。最大の問題はそこだ」

「部員募集してるのに?」

「来ないんだよ」

「なんで?」

岳は少しだけ目を逸らした。

「軽音部、評判悪いから」

「評判?」

玲奈が譜面を閉じた。

「去年、文化祭に出られなかった」

「なんで?」

「部員同士で揉めた。曲も決まらない。練習にも来ない。最後は全員バラバラ」

千夏は岳を見る。

岳は笑っていたが、その笑い方は少しだけ雑だった。

「俺と玲奈だけ残った。あとは卒業したり、辞めたり」

「部長なのに?」

「部長だから残ったんだよ」

岳はドラムスティックをケースにしまった。

「でも今年も部員足りなかったら廃部。文化祭も出られない。だから助けてって書いた」

「……あれ、岳が書いたの?」

「そう」

「字、意外と可愛かった」

「そこ褒める?」

千夏は笑ったけれど、すぐに黙った。

昨日は、ただ面白そうだと思った。

エクスカリバー。
ROUND TABLE。
WE’RE HEROES!!

大げさで、ださくて、でも胸が熱くなる言葉たち。

けれど、その裏には去年の失敗があった。
残された人たちがいた。
今年で終わってしまうかもしれない部活があった。

千夏はエクスカリバーのボディを撫でた。

銀色の傷が、夕日の中で細く光る。

「じゃあ、ベース探そう」

岳が顔を上げる。

「簡単に言うなあ」

「言うのは簡単だもん」

「問題は誰を誘うかだ」

蒼真が言った。

「初心者なら一ヶ月で文化祭は厳しいだろ」

「蒼真が言うと説得力あるね」

「俺も初心者寄りだからな」

「でも今日、ちゃんと弾けてたよ」

千夏が言うと、蒼真は一瞬だけ黙った。

「……そうか?」

「うん。たまに置いてったけど」

「褒めてから落とすな」

「でも追いついてきたじゃん」

蒼真はギターケースの留め具を閉めながら、小さく言った。

「追いつかないと、またお前ひとりで行くからな」

その言葉は、冗談みたいだった。

でも千夏の胸に少し刺さった。

玲奈が静かに口を開く。

「ベースなら、候補がいる」

全員が玲奈を見る。

「いるの?」

千夏が身を乗り出す。

「黒瀬凛」

その名前を聞いた瞬間、岳が「あー」と苦い顔をした。

「凛か」

「知ってるの?」

「知ってるも何も、有名だろ」

蒼真が言った。

「黒瀬凛って、二組の?」

「そう」

玲奈が頷く。

「中学の頃からライブハウスに出てる。ベースはかなり上手い」

「じゃあ最高じゃん!」

千夏がぱっと明るくなる。

しかし岳は首を振った。

「最高だけど、最悪」

「どっち」

「腕はいい。でも性格がな」

「悪いの?」

「悪いっていうか……」

岳は言葉を探した。

代わりに蒼真が言う。

「人を見下してる感じはある」

「それは悪いじゃん」

「あと、軽音部を嫌ってる」

「最悪じゃん」

玲奈は淡々と言った。

「去年、少しだけ軽音部にいた」

岳が頭をかいた。

「あいつは本気だったんだよ。たぶん、誰よりも。でも周りがついていけなかった。それで、辞めた」

千夏はその言葉に引っかかった。

本気だった。
周りがついていけなかった。

なんだか、少しだけ自分の話みたいだった。

「今は?」

「学外でバンドやってる。サポートベースみたいな感じ。学校ではほとんど音楽の話しない」

玲奈が言う。

「でも、彼女が入れば音は締まる」

「誘おう」

千夏は即答した。

岳が笑う。

「速いな」

「チーターだから?」

蒼真が言う。

「違う!」

千夏は立ち上がった。

「でも、上手いなら誘うしかないじゃん。軽音部嫌いなら、好きにさせればいいし」

「そういう単純さ、すごいな」

「褒めてる?」

「半分だけ」

「また半分」

千夏はエクスカリバーをケースに戻した。
名残惜しい気がしたが、今日はこれ以上弾いたら指が死ぬ。

ケースを閉じる前、銀色のギターをもう一度見る。

さっきより、少しだけ自分のものに見えた。

いや、違う。

自分のものになったのではなく、少しだけ距離が縮まった。

そんな感じだった。

「明日、黒瀬凛を誘う」

千夏が宣言すると、岳が手を叩いた。

「よし。仮フロントの初仕事」

「仮だからね」

「黒瀬は手強いよ」

玲奈が言う。

「どう手強いの?」

「たぶん、最初にこう言う」

玲奈はほんの少し声色を変えた。

「部活バンドで英雄ごっこ? かわいいね」

千夏は眉を上げた。

「うわ、言いそう」

「会ったことないだろ」

蒼真が突っ込む。

「でもなんか分かる」

岳は苦笑する。

「凛はな、上手いやつ以外には容赦ない」

「じゃあ、上手くなればいい」

「明日までに?」

「……それは無理」

「正直でよろしい」

千夏は少し考えた。

上手い相手。
本気だった相手。
軽音部を嫌っている相手。

どう誘えばいいかなんて、分からない。

でも、千夏にできることはひとつしかない。

鳴らすこと。

言葉で勝てないなら、音でぶつかる。

「じゃあ、明日までにサビだけでもちゃんと鳴らす」

岳がにやっとした。

「お、やる気」

「仮だけど」

「便利な言葉だな、仮」

玲奈が譜面を千夏に渡した。

「持って帰って。歌詞、読んできて」

「宿題?」

「フロントの仕事」

千夏は譜面を受け取った。

紙は少し古く、端が柔らかくなっている。
そこに書かれた文字を、もう一度見る。

聖剣を握りしめて 未知なる世界へ
冒険の火を灯し 挑む英雄たち

未知なる世界。

それはたぶん、明日の黒瀬凛のことだ。

千夏は譜面を鞄にしまった。

「分かった。読んでくる」

蒼真が立ち上がる。

「帰るぞ、ちー」

「うん」

千夏はギターケースを背負おうとして、指の痛みに顔をしかめた。

「痛っ」

「無理すんなよ」

「してない」

「してるやつはだいたいそう言う」

蒼真は千夏のケースを横から持った。

「半分持つ」

「いいよ」

「いいから」

「過保護」

「お前がすぐ走るからだろ」

千夏は少しだけ唇を尖らせた。

でも、ケースの重さが半分になると、正直助かった。

「……ありがと」

「ん」

蒼真はそれ以上何も言わなかった。

二人は音楽室を出た。

廊下はもう夕暮れ色だった。
窓の外では、校庭の影が長く伸びている。

階段を降りる時、千夏はふと立ち止まった。

西棟四階の窓から、河川敷が見えた。

草が風に揺れている。
いつもの場所。

千夏はそこを見ると、なぜか少し安心した。

学校で何があっても、あそこに戻れば走れる。
あそこには風がある。
草がある。
空がある。

「蒼真」

「何」

「私さ」

千夏は窓の外を見たまま言った。

「今日、ちょっと怖かった」

蒼真は驚いたように千夏を見た。

千夏は続ける。

「昨日は何も考えてなかったから、鳴らせた。でも今日は、曲のこととか、文化祭のこととか、ROUND TABLEのこととか考えたら、なんか急に怖くなった」

「うん」

「エクスカリバー、昨日みたいに鳴らなかった」

「うん」

「でもさ」

千夏は笑った。

「怖くても、もう一回弾いたら、ちょっとだけ鳴った」

蒼真はしばらく黙っていた。

それから、小さく言った。

「ちーらしいな」

「何それ」

「転んでも走るってこと」

「だから転んだ話、多い」

「大事だからな」

千夏は窓を開けた。

夕方の風が廊下に入ってくる。

汗ばんだ首筋に触れて、気持ちよかった。

「明日、黒瀬凛に会いに行く」

「俺も行く」

「なんで?」

「お前だけだと、たぶん勢いで変なこと言う」

「失礼な」

「事実」

「じゃあ、蒼真も一緒に変なこと言えばいいじゃん」

「なんで俺まで」

千夏は笑いながら、階段を駆け下りた。

「ほら、行くよ!」

「だから走るな!」

蒼真の声が後ろから追いかけてくる。

千夏は足を止めなかった。

疲れている。
指も痛い。
喉も少し熱い。

でも、風が吹くとやっぱり走りたくなる。

昇降口を抜け、校門を出る。
そのまま河川敷へ向かう道を、千夏は駆けた。

夕焼けに染まる草の上で、彼女はようやく立ち止まった。

蒼真が遅れて追いつき、息を切らす。

「お前な……」

「ねえ、蒼真」

「何」

千夏は振り返る。

夕日を背にして、にっと笑った。

「明日、ちょっとだけ英雄っぽく行こう」

「黒瀬を誘うだけだろ」

「そうだけど」

千夏は空を見上げる。

「でも、未知なる世界へ、って歌詞に書いてあったし」

「影響されやすいな」

「いいじゃん。歌ってそういうものでしょ」

蒼真は苦笑した。

千夏は鞄から譜面を取り出し、夕日にかざした。

古い紙に書かれた文字が、橙色に染まる。

WE’RE HEROES!!

まだ、胸を張って言える言葉じゃない。

でも、千夏は少しだけ思った。

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