小説WE'RE HEROES!!

部活発のガールズバンドを結成した私たち。愛機“エクスカリバー”を手に、円卓の騎士のように支え合いながら音を鳴らす。選ばれた英雄じゃなくても、自分たちだけの伝説を、ステージの上に築いていく。

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千夏はロッカーの文字を見た。

黒い油性ペンの線。
滲んで、掠れて、それでも消えずに残っている名前。

「なんで?」

「知らない」

玲奈は短く答えた。

「知らないんだ」

「肝心なところは、誰も話したがらないから」

千夏はますますロッカーが気になった。

「で、この中にエクスカリバーがあるの?」

玲奈の眉が、ほんの少しだけ動いた。

「誰から聞いたの」

「クラスの噂」

「噂、まだ生きてるんだ」

「エクスカリバーって、本当にギターなの?」

「うん」

「剣じゃなくて?」

「ギター」

「名前つけた人、だいぶ中二だね」

「たぶんね」

玲奈はそう言いながら、ポケットから小さな鍵を取り出した。

古びた鍵。
先端が少し黒ずんでいる。

「開けてくれるの?」

「本当は、部長がいる時だけ」

「部長いるの?」

「一応」

「どこに?」

「寝てる」

「え?」

「たぶん、部室の隅で」

千夏と蒼真は同時に音楽室の方を見た。

誰もいなかったはずだ。

玲奈は何事もなかったように、鍵をロッカーに差し込む。

かちり。

思ったよりも軽い音がした。

扉がゆっくり開く。

中には、黒いギターケースが入っていた。

古いケースだった。
表面は擦り切れ、金具はくすんでいる。
でも、不思議と捨てられたものには見えなかった。

大切にしまわれていた。
そんな感じがした。

玲奈がケースを床に下ろす。

千夏は無意識に息を止めていた。

留め具が外れる。
一つ。
二つ。
三つ。

蓋が開いた。

銀色のギターが、そこに眠っていた。

千夏は、言葉を失った。

ボディは綺麗とは言えない。
細かい傷がいくつも走っている。
ピックガードは黄ばんで、金属パーツも少し錆びていた。

でも。

窓から差し込む光を受けた瞬間、そのギターは確かに剣みたいに見えた。

銀色の刃。
草原の風を切る、一振りの光。

「これが、エクスカリバー」

玲奈が言った。

千夏はしゃがみ込んだ。

手を伸ばしかけて、止める。

触っていいのか分からなかった。

ただのギターなのに。
古くて、傷だらけで、たぶん重くて、扱いづらそうなだけなのに。

胸の奥がざわざわする。

「弾いてみる?」

玲奈が言った。

千夏は顔を上げた。

「いいの?」

「鳴らないと思うけど」

「鳴らない?」

「うん。音は出る。でも、鳴らない」

「意味分かんない」

「弾けば分かる」

千夏はギターを見た。

銀色のボディ。
錆びた弦。
古い木の匂い。

蒼真が少し後ろから言う。

「ちー、やめとけば」

「なんで」

「なんか、こういうのって触ったら面倒なことになるだろ」

「伝説のギターを前にして、触らない方が面倒じゃない?」

「お前のそういうところだよ」

千夏は笑った。

そして、ギターに手を伸ばした。

指先がネックに触れる。

ひやりとした。

でもすぐに、手のひらに馴染んだ。

思っていたより重い。
肩にかけると、体が少し前に引かれた。

けれど不思議と嫌ではなかった。

千夏はギターを構えた。

ピックを持っていなかったから、指で弦をはじく。

じゃん。

音がした。

ただの一音。

でも、準備室の空気が震えた。

棚の上の古い譜面が、かすかに揺れる。
ロッカーの扉が、きい、と小さく鳴る。

蒼真が目を見開いた。

玲奈も、初めて表情を変えた。

「……鳴った」

「いや、そりゃギターだから」

千夏はそう言ったけれど、自分でも分かっていた。

これは、ただ音が出たのとは違う。

胸の奥まで届く音だった。

草原の上で、急に強い風が吹いた時みたいな。
まだ知らない場所へ、背中を押されるみたいな。

千夏はもう一度、弦を鳴らした。

今度はコードを押さえる。

G。

少し濁った。
でも、抜けた。

C。

指先が弦に食い込む。

D。

銀色のギターは、確かに鳴っていた。

その瞬間、音楽室の方から、低い声がした。

「うるせえな……」

千夏はびくっとして振り返る。

準備室の入口に、男子生徒が立っていた。

背が高く、髪は少し乱れている。
目つきは眠そうで、制服のシャツはだらしなく開いていた。
手にはドラムスティック。

彼は大きくあくびをしてから、千夏の肩にかかっている銀色のギターを見た。

そして、眠気が一瞬で吹き飛んだような顔をした。

「……は?」

玲奈が淡々と言う。

「部長、起きた」

「起きたじゃねえよ」

男子生徒は、千夏を指さした。

「なんでそれ、鳴ってんの」

千夏はギターを抱えたまま、首を傾げた。

「弾いたから?」

「そういう話じゃねえ」

「じゃあ、どういう話?」

男子生徒は乱暴に頭をかいた。

「それ、誰が弾いてもまともに鳴らなかったんだよ。俺も、玲奈も、前の先輩も、その前も」

「へえ」

「へえ、じゃねえ」

彼は千夏の前まで来た。

「お前、名前は」

「瀬名千夏」

「学年」

「二年」

「担当」

「え?」

「楽器」

千夏は少し迷ってから答えた。

「ギター。あと、歌」

その瞬間、男子生徒の目が光った。

「ギターボーカル?」

「一応」

「一応ってなんだ」

「家で弾いて歌ってるだけだから。バンドは、別に」

「入部希望か」

「見学」

「よし、入部だ」

「話聞いてた?」

男子生徒はにやりと笑った。

その笑い方は、少し強引で、少し馬鹿っぽくて、でも妙にまっすぐだった。

「俺は高峰岳。軽音部部長。ドラム」

彼はスティックを肩に乗せる。

「瀬名千夏。お前、今日からうちのフロントな」

「はあ?」

千夏は思わず声を上げた。

「勝手に決めないでよ」

「じゃあ決めろ」

「何を」

「そのギター持って、何を鳴らしたいか」

岳の声が、ほんの少しだけ真面目になった。

千夏は答えられなかった。

何を鳴らしたいか。

そんなこと、考えたことがなかった。

ただ、走るのが好きだった。
ただ、歌うのが好きだった。
ただ、風が吹くと胸が熱くなって、ギターを鳴らしたくなった。

それだけだった。

玲奈がロッカーの中を覗き込み、古い譜面ファイルを取り出した。

黒い表紙。
角が擦り切れている。

そこにも、同じ文字が書かれていた。

ROUND TABLE

そして、その下に、手書きの曲名。

WE’RE HEROES!!

千夏は、その文字を見た。

ウィアー・ヒーローズ。

私たちは、英雄だ。

「……ださ」

千夏は思わず呟いた。

岳が笑った。

「だろ」

玲奈も少しだけ口元を緩めた。

蒼真は小さくため息をついた。

でも千夏は、その表紙から目を離せなかった。

ださい。
大げさ。
今どきじゃない。
絶対に誰かに笑われる。

なのに。

胸が熱かった。

まるで、ずっと前からその言葉を知っていたみたいに。

岳が譜面ファイルを開く。

中には、未完成の楽譜が入っていた。
コード。
歌詞。
ところどころ空白。
消しゴムの跡。
赤ペンの書き込み。

誰かが必死に作ろうとして、途中で止まってしまった曲。

「十年前のROUND TABLEが、最後にやるはずだった曲だ」

岳が言った。

「でも未完成のまま、残された」

玲奈が続ける。

「文化祭までに、私たちはこれを完成させたい」

千夏は顔を上げた。

「私たちは?」

岳が笑う。

「軽音部。いや」

彼はロッカーに書かれた文字を軽く叩いた。

「新しいROUND TABLE」

準備室に、静かな時間が落ちた。

千夏は銀色のギターを抱えている。
蒼真は腕を組んで、複雑そうな顔をしている。
玲奈は譜面を持って、千夏を見ている。
岳はドラムスティックで肩を叩きながら、返事を待っている。

外では、風が吹いていた。

窓の向こう、遠くに河川敷の草が見える。
さっきまで千夏が走っていた場所。

草原みたいな、あの場所。

千夏はギターのネックを握った。

銀色のボディが、少しだけ光る。

「……文化祭って、いつ?」

蒼真が顔をしかめた。

「ちー」

「入るとは言ってない」

「今のは入るやつの質問だろ」

「違う。予定確認」

岳はにやにやしている。

「一ヶ月後」

「一ヶ月?」

「正確には、二十九日」

「短っ」

「だから助けてって書いた」

「切実すぎる」

千夏は譜面を見た。

WE’RE HEROES!!

ださい。
大げさ。
笑われそう。

でも、もし。

もしこの曲を、あの青い空の下で歌えたら。

もし銀色のギターを鳴らして、仲間と一緒に叫べたら。

その瞬間だけは、少しだけ本当に、英雄みたいになれるのかもしれない。

千夏は顔を上げた。

「一回だけ」

岳が首を傾げる。

「一回?」

「一回だけ、合わせてみる。入部とか、フロントとか、そういうのはその後」

蒼真が小さく呟く。

「それ、もうほぼ入ってるだろ」

「うるさい」

玲奈が譜面を千夏に差し出した。

「じゃあ、仮入部」

「仮ね」

「仮フロント」

「それは違う」

岳がドラムスティックをくるりと回した。

「よし。じゃあ仮フロント、音出すぞ」

「だから違うってば」

「曲、分かる?」

「分かるわけないじゃん」

「大丈夫。俺たちも分かってない」

「だめじゃん!」

岳は音楽室へ戻っていく。

玲奈もキーボードの方へ向かう。

蒼真はまだ準備室の入口に立っていた。

千夏は銀色のギターを抱えたまま、彼を見る。

「蒼真」

「何」

「ベース、弾ける?」

「弾けない」

「ギターは?」

「少し」

「じゃあ手伝って」

「なんで俺まで」

「だって、ひとりだとつまんないじゃん」

蒼真は額に手を当てた。

「お前、ほんとに昔からそういうとこ変わらないな」

「褒めてる?」

「半分だけ」

「じゃあ半分ありがとう」

千夏は笑って、音楽室へ駆け出した。

その背中を見て、蒼真はため息をつく。

でも、その足はちゃんと千夏の後を追っていた。

音楽室に戻ると、岳がドラムセットに座っていた。
玲奈はキーボードの前。
蒼真は壁際にあった古いギターを手に取る。

千夏は中央に立った。

ステージでも何でもない。
ただの音楽室。
床は傷だらけで、アンプは古くて、マイクスタンドも少し曲がっている。

でも、千夏の胸はどきどきしていた。

銀色のギターが、肩に重い。

その重さが、なぜか嬉しかった。

岳がスティックを鳴らす。

カン、カン、カン、カン。

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